入居をご検討中の方へ

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スタッフが語る、入居者様のエピソード

当施設にご入居された方は、こちらに至るまでの歩まれてきた背景やお悩みはお一人おひとり違います。
コンソルテ瀬田では、入居者様ご自身にあった生活が楽しめるよう、スタッフ一同サポートに努めています。
実際にご入居されている方の、ご入居前のお悩みから入居後の暮らしをエピソードとしてご紹介します。

エピソード1

うつ病を乗り越え、コンソルテ瀬田で生きがいを見つけた

うつ病を乗り越え、コンソルテ瀬田で生きがいを見つけた

奥様を亡くし一人暮らしとなったH様。ある日うつと診断され、普段服用する薬の管理もできなくなりました。このままでは一人暮らしはできないと家族様が判断し、娘様のところへ引越し、同居が始まります。

しかし家族との生活のリズムが合わず、コンソルテ瀬田の入居を決められました。

コンソルテでは同年代の方が多く、戦争の話で懐かしんでいるうちにお元気になられ、いつのまにかご入居者様のリーダー的存在になられておりました。

新しいご入居者様が来られると進んで話かけてくださったり、大好きなカラオケはカラオケレクリエーションだけでは物足りず、お仲間を誘ったり、スタッフを巻き込んで歌う機会を率先して続けておられました。

そして念願の「NHKのど自慢」に出場。特別賞を頂きました。

エピソード2

レクリエーションで芽生えた交流から、親友が出来た

レクリエーションで芽生えた交流から、親友が出来た

J様は要介護2でご入居された方です。

うつで入院。退院後、息子様家族と同居されますが、まだ小さいお子様がおられたので、息子様家族は介護まで手が廻らないということでコンソルテ瀬田にご入居となりました。

入居当初は自らバリアを張り、声かけにお返事はしてくださりますが、自ら話さない、笑わないので少し怖い印象の方でした。

スタッフがJ様は趣味で編み物をされていたため、手先が器用なことに気づき、まずは個人で行う習字や貼り絵などのレクリエーションに参加していただきました。

そのことにより、他のフロアーのご入居者様とも顔見知りになられ、背格好がそっくりな方と気が合うようになりました。いつの間にか一緒に散歩をする仲になり、二人でいると何時間でも話せるようで「ごはんですよー」と言ってもなかなか離れられないお二人です。

どちらかが体調を悪くしたときには、スタッフに様子を聞いてからお見舞いへ。手を取り合って勇気づけられるときもありました。

エピソード3

プライドを大事に。骨折後、寝たきり状態から歩けるように

プライドを大事に。骨折後、寝たきり状態から歩けるように

認知症があるも、ご主人が他界し独り暮らしのI様。
朝から近所の商店街に行き、帰ってくるのが夕方と、気ままな暮らしをされていました。

ある日ご自宅で転倒し足を骨折。寝たきりの状態になってしまいました。
その後、何とか自宅内では伝い歩きができるものの食欲は無く、常に介助が必要な状態になられました。今後独りで在宅で暮らすのは難しいため、コンソルテ瀬田にご入居となりました。

コンソルテ入居当初はふらつきがみられ、車椅子を使用されておられましたが、「皆の前で車椅子は嫌!」とふらつきながらも介護職員が見守りながら歩いて食卓へ。

食卓では他の入居者様やスタッフとたくさん話をすることであっという間にお元気になられ、今ではコンソルテ瀬田内にある喫茶店へ行き、コーヒーを飲むのが日課になりました。今日も「ママさん、コーヒー」とオーダーの声が響きます。

エピソード4

最期の瞬間まで、普段の生活を大切に過ごしたい想いに応えて

最期の瞬間まで、普段の生活を大切に過ごしたい想いに応えて

G様は要介護4の90代の女性。年齢よりしっかりされており、性格もきっちりされております。女学校卒業後は県庁入庁され55歳まで活躍されておりました。

他県にお住まいの姪様やご友人がコンソルテ瀬田に面会にこられた際など外出し高級料亭でお食事などされておられました。

そんなG様をある日突然襲ったのが癌でした。しかも末期でありました。

入院され、今後は緩和病棟への転院を予定されておりましたが、G様の希望はご自身の状態が悪化し、症状が強く出るまでは「コンソルテ瀬田で過ごしたい」というものでした。

そして退院され施設に戻って来られました。
戻って来られたときのG様の満面の笑みを忘れることができません。

G様、ご家族様の思いを大切に、多職種と連携を取り、穏やかに過ごしていただけるよう、スタッフ一同精一杯ご支援をしていきます。

エピソード5

帰宅願望が180度変化。受付業務のお手伝いをしてくださるように。

帰宅願望が180度変化。受付業務のお手伝いをしてくださるように。

K様は認知症です。

入居時に家族様も本人の認知症で迷惑を掛けるのではないかと心配をされておられました。帰宅願望が強く、毎日出口を探しておられました。

スタッフが付き添って歩いているうちに、同じルートを歩いていることに気づき、この歩行を「施錠の確認のお仕事」と設定して、「いつも確認ありがとうございます!」とお声を掛けることにしました。
いままで歩いている時にはいつも硬い表情をされていましたが、続けるうちに表情が柔らかく変化してきました。

「出口探し」が「確認のための散歩」に変わった瞬間です。

ただ、段々と足が悪くなり、長距離を歩くのが難しくなったとき、たまたま置いておいた玄関ホールの椅子に座られ動かなくなられました。いつの間にかこの椅子に座ることが日課になりました。

椅子に座って受付のスタッフと話しているうちに、「おい、(ドア)開いてるよ!」「お客さんが来たよ」と知らせてくれたり、来館されたお客様に「そのベルを押したらいいよ」と代わりに押してくださったりと受付のお仕事を手伝ってくださるようになりました。
その表情はとても穏やかでやさしい笑顔です。

エピソード6

毎日奥様のところへ通われ、手を握り優しく話掛けてくださいました

最期の瞬間まで、普段の生活を大切に過ごしたい想いに応えて

他府県で高齢のご夫婦お二人暮らし、自宅で転倒し足を骨折したことをきっかけに奥様の認知症状が進行。介護されていたA様も転倒され腰椎圧迫骨折で入院。

入院中は意欲的にリハビリを取り組まれ伝い歩きはできるものの、日常生活は車いすが必要なため、自宅での生活が難しいと判断されご夫婦でご入居。

コンソルテ瀬田入居後、居室は別の階でしたが、毎日のように奥様に会いに来てくださりました。いつも手を握りお話されていました。 奥様が転倒され、再度足を骨折。入院加療中に認知症状が進行。食欲も低下し衰弱。ご家族は悩んだ末に病院ではなく、施設での看取り介助を希望されました。 退院後は以前のように毎日奥様のところへ通われ、手を握り優しく話掛けてくださいました。

数か月後、奥様は施設で息を引き取られましたが、その傍らには手をしっかり握られたA様がおられました。息子様の駆けつけて下さり一緒に看取ってくださいました。病院ではなく、施設で最期を迎えられてよかったと何度も言ってくださいました。
1年経った今もお仏壇に手を合わせ優しく話しかけておられます。 「(亡くなられた)奥様の分も長生きしなあかんしな」と今日もコンソルテ瀬田でリハビリを頑張っておられます。

エピソード7

長らく不動産会社を経営し、忙しく働いておられましたが・・

最期の瞬間まで、普段の生活を大切に過ごしたい想いに応えて

北陸地方にあるB県でご主人様と二人暮らし。長女様は海外、次女様は施設近くにお住まいです。

長らくB市内で不動産会社を経営し、忙しく働いておられましたが、あるとき心筋梗塞を発症し、冠動脈ステント手術を受けます。

その後、退院して自宅に戻りますが、ご自宅内での転倒や失認・失行、自宅からの徘徊などの症状が目立つようになります。

ご主人様と物忘れ外来を受診し、レヴィ小体型認知症と診断されます。 その後も症状は急速に進行。ご主人様はB様の変化に戸惑い、「薬を飲むと様子がおかしくなる!」と自己判断で服薬を中止してしまいます。

そうこうしているうちにご主人様が肺炎で入院したことがきっかけで、次女様が生活状況を知ることになります。

次女様よりB市内のショートステイ先での面談の依頼を受け、職員が現地で状況を把握。ご家族様の送迎によりご入居に至り 現在は施設で安心して過ごされておられます。

エピソード8

いつまでも花のある生活を送りたいとの願いは今後も叶え続けます

最期の瞬間まで、普段の生活を大切に過ごしたい想いに応えて

58歳の時に脳出血発症。後遺症で左片麻痺になり車椅子生活へ。数年後、認知症の診断を受けグループホーム入居されるも、 息子様夫婦の勧めもあり息子様夫婦宅で同居生活をスタート。

数年後、息子様より相談あり。年齢と共に介護内容も少しずつ多岐にわたり、共働きの中で介護し続けるのは、お互いに気持ちの負担も増してきている。まだまだできることがある中で、お互いが負担なく自分らしい生活が送れるようにと施設入居を決められました。

コンソルテ瀬田ご入居後、C様は何にでも興味を示され、サークル活動にも一通り参加してくださいました。

その中でもコンソルテ瀬田で実施している生け花は続けたいと言われ、生け花教室に参加していただくことになりました。

花を生ける際に片麻痺があるため、ハサミでうまく切れませんが、「ここ切って」とおっしゃって、そのようにさせて頂くと勢いよく生けてくださいました。生けられた作品はいつも素敵で、昔から生け花を習っておられたのだろうと思っていましたが、C様にお聞きすると「ここに来て初めてした。昔から花は好きやったけど、習ったことはなかった。」との事。

てんかん発作、誤嚥性肺炎で入退院を繰り返し、今ではベッドから離れることも体力的に難しくなったってからも、お花が好きで「きれいやなぁ」と眺めおられます。そして職員からも、生けることはできなくなったけれども、先生の生ける姿を見ていただき、刺激になればとご家族にお願いし、生け花教室を継続しておられます。

以前テレビを見ながら、旅行に行くとしたらどこに行きたいかお聞きすると、「沖縄!海で泳ぎたい!」と言われ、昔は泳ぎが得意だったとはなしてくださったことがありました。寝たきりになられた今、この夢を叶えることは難しいです。しかし、いつまでも花のある生活を送りたいとの願いは今後も叶え続けます。

エピソード9

「買い物に行きたい」と積極的に活動されています

最期の瞬間まで、普段の生活を大切に過ごしたい想いに応えて

奥様と二人で暮らし。その奥様が4年前から骨髄異形成症候群により長期入院。

D様もパーキンソン病との診断を受け治療中でしたが、追い打ちをかけるように心労が重なり、 食事も摂らずに薬の飲み忘れなどが続いている状況でした。

ある日、階段から落ちて左大腿骨を骨折してしまいます。

病院で手術を受け、リハビリに励むことで体調が上向きに。

在宅に戻っても同じことの繰り返しと医師から説明されたことで、施設への入居に至りました。

定期的な投薬と食事療法で顔色が良く、活気が戻ってこられました。「買い物に行きたい。」と積極的に活動されています。

エピソード10

安心して施設での生活をおくっておられます

最期の瞬間まで、普段の生活を大切に過ごしたい想いに応えて

医師一家に生まれ、E様も医師として活躍されていました。退職後はE様の叔父様の経営する医院で診察を続けていましたが、2年後に脳梗塞で倒れます。

幸いにして症状は軽く済んだものの、手足の麻痺とパーキンソン症候群が残ることになりました。

病院で半年間リハビリを受け、奥様の待つ自宅へ在宅復帰を果たしましたが、今度はその奥様もパーキンソン病により入院することになります。

その間にE様もレスパイト目的での入院となり、退院後にご夫婦二人での生活は難しいのではないかと医師から告げられます。近くに住む息子様にも生まれたばかりのお子様がおられるため、積極的な支援は望めませんでした。

安心できる環境を求め、施設入所を検討。パーキンソン病という疾患から、看護師が常駐している施設を希望され、当施設に入居されました。

入居後は服用時間が決められた複雑な内服薬も看護師が管理し、介護士が補助することで安心して施設での生活をおくっておられます。

エピソード11

ある日を境に、幻覚が見えるといった症状が現れ・・

最期の瞬間まで、普段の生活を大切に過ごしたい想いに応えて

企業の経理を担当され、職業婦人として定年まで勤めておられました。

ある日を境に、ちぐはぐなことを話す、徘徊する、幻聴が聞こえる、幻覚が見えるといった症状が現れ、F様のお兄様と精神科病院を受診。アルツハイマー型認知症と診断を受けました。

身寄りがなく、F様のご兄弟も高齢であることから成年後見制度を利用していました。その後も認知症が進行してきたことにより、サービス付き高齢者住宅に入所します。

しかし、サービス提供外の時間に徘徊や失禁といった症状が現れてきたことで、後見人様より当施設へ入所のご相談をいただきました。

担当ケアマネジャーや訪問介護事業所からご本人に合った詳細な介護方法を教わり、実践することで安心して過ごすことができておられます。

介護付き有料老人ホーム コンソルテ瀬田

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